■ 「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」は真実
「持っている人は与えられて いよいよ豊かになるが、
持っていない人は 持っているものまでも取り上げられるであろう」
(新約聖書:マタイ伝より)
聖書の言葉ですが、現代では「マタイの法則」の呼び名で資本主義の構造を表わす言葉として、またスピリチュアルの世界では「引き寄せの法則」として、広く知られているようですね。今回は「引き寄せ」のほうのお話です。
「引き寄せの法則」では「願ったことを引き寄せる」のですが、実は、
意識的に願ったことだけでなく、普段何気なく意識していることも引き寄せる
のです。
しかも、ほとんどの人は一日の多くの時間、自分が本当に望んでいるものよりも、望んでいないものに意識を向けています。
つまり、
自分は豊かだと思っている人は、豊かな現実を引き寄せる
自分は貧しいと思っている人は、貧しい現実を引き寄せる
と頭では分かっていて毎日、朝晩30分、「成功する、成功する、成功する…」あるいは「結婚する、結婚しました、ありがとうございます」とイメージングをしていても、それ以外の時間でネガティブなことを考えていると、そちらの力が勝ってしまいます。
「成功する」と唱えながら、同じ分野ですでに成功している誰かを思い浮かべて「アイツなんてさっさと転落すればいい」と思い、悶々とその人のことを考え続ける。イヤなことがあるとずっとそのイヤな気分を引きずる。
「あの人と結婚しているイメージ」を抱いてみても、それ以外の時間に「あんな女が結婚できてなんで私はできないの」「あんな夫婦、いずれ離婚するに決まってる」と…。
これが「成功を願ってるのに、成功しない」「結婚を願っているのに結婚できない」現実を引き寄せる要因となるのです。
では、どうすればいいのでしょうか?
■神目線で世界を見れば「他人の成功は自分の成功」
前回の記事でも書きましたが、神としてこの現実世界を生み出しているのは自分自身です。
自分が神だとすれば、自分が嫉妬している相手も自分が生み出した存在です。自分が生み出した存在が、自分の願っていたことを成し遂げたとしたら、それは「自分の成功」でもあるのではないでしょうか?
神と個人、現実世界の関係については、「いまという瞬間は、生命というゲームが展開している場※」として、良くRPGのプレイヤーとキャラクターに例えられるのですが、
神=ゲームクリエイターかつプレイヤー
この世界=ゲーム空間
私=キャラクター
その他の人々=AIで動いてるその他キャラ
に置き換えると、なんとなくイメージがつかめるかもしれません。
まず「神である私」はゲームクリエイターとして、自分が楽しむために「この世界」というゲーム空間が創りました。
そして、「私」というキャラクターをプレイして、このゲームを楽しみます。
ゲームなのに、敵がおらず、何も問題が起きず、ゴールドを稼ぐ必要もなく、全てが思いどおりになるとすれば?
スタート時点や前半でHPもMPも全てのステータスがカンストして、装備も最高レベルが手に入り、ミッションを全てクリアしてしまって、後は「平和な世界を何のミッションもなく歩く」だけだとしたら?
面白くありませんよね。
そのため、「神である私」はクリエイターとして、様々な仕掛けをこのゲーム空間に仕掛けておきました。クリアすべきミッションがあり、予期せぬ出来事が起こり、思いどおりにいかず経験値やゴールドを稼ぐ必要があり、ドキドキやハラハラを味わえるようにしておきました。
自分以外のキャラの全ても、「こんなヤツが現れてこんなイベントが起きたら面白いだろう」と思いを込めて、緻密な設定をしました。
妬ましくてたまらない誰かも、ゲームの中の1キャラだと思うと、全く抱く気持ちが変わると思います。
そして、その誰かの成功が「神である自分自身が仕組んだもの」だと思えば「他人の成功は自分の成功」となるのです。
さらに言えば、「他人の成功や幸せが目につくとき」は、「貴方自身も、同じものが手に入りますよ」というサインでもあるのですが、これについては、<その3>でお伝えしたいと思います。
※「ニュー・アース―意識が変わる 世界が変わる―」エックハルト・トール「役割を演じることをやめる」より