それを伸ばせる親の元に生まれてめでたくその道のプロになれる人もいれば、食べてくだけで精一杯の貧困家庭に生まれて、あらゆる才能の芽を見出す機会から失われている子も確実に存在してる。
自己責任論で、ものすごくレアな「貧困の中で努力してチャンスを掴んで成功した」一握りの天才を引き合いに出して「あの人でもできたんだから、あなたができないのは単なる甘えだ」みたいに断罪する風潮もあるわよね。
でも、それも最近では「努力できるのも才能のうち」「努力すれば報われる環境にあった」ってだんだんみんな分かってきて、とやかく言わないように少しずつだけど世の中の考えが変化してきたみたいだけど。
じゃあ、その「努力できる才能」「努力すれば報われる環境」も、前世の徳のうち?あえて今世ではチャレンジするために逆境に自分を置いてみた魂の計画のうち?って、前世の存在を信じる人だと、やっぱり結びつけたくならない?
で、これはもう本当にいろんな宗教の立派な方々や、いろんな価値観の元で社会をより良くしようって思ってる人たちの語ることにも一部異論を唱えることになるから、飽くまで「世界の片隅の怪しいオネエが勝手に語ってる」与太話として捉えてくれればいいんだけど、ぶっちゃけ
魂は徳を積めない
言っちゃった(汗)
だから積んだはずの「徳」は存在しなくて、当然、次に生まれてくるときに前世までで積んだ「徳」に応じて、生まれる環境が選べるとかってないわけね。
すんごいゲスな例え話をすると、
「あなたは前世までに5回、他人を助けて命を落とし、ある前世では難病の治療薬を開発してウン万人の命を救いました。そのため、今世に持ち越した徳は5000ポイントなので、今世は東大医学部に進学できる頭が良くて裕福な両親の元に、徹夜何連チャンもできる丈夫な体を持って生まれます」
なんてことにはならないの。
逆の場合でも、