そのような生贄に選ばれるのは、ほとんどの場合がその家の末娘であった。元々、作物が育ちにくく何かあれば村全体が飢えるような土地では、口減らしとして末娘のみならず、次男次女以降は奉公に出されるなどしておった。
多産多死と男尊女卑が当たり前だった時代、上に兄弟姉妹がいれば、差し出すにあたりもっともその家の心理的な負担が少ないのが末娘だったのじゃな。
生贄に選ばれる女児はそのために生まれてくるゆえ、戸籍にも載せられず、名前すら付けられぬことすらあった。なんとも悲しい話であるのう。
村全体を守るための生贄の場合は、ある一家からと決まっていたわけではなく、輪番制で村内のあらゆる家から生贄は差し出された。ゆえに時代が進むとこれを嫌って村を出る一家も増えていった。村を出れば例え娘が生まれても生贄に差し出す必要もなく、ごく普通の暮らしを送り、娘も成長し人並みの人生を送ることができる。・・・はずであった。
■生贄を出していた家の末娘が嫁げない呪いとは
しかし、長年その先祖が行ってきた行為はなんの罪もないはずの子孫の人生に悪因悪果として反映することがある。因縁の村から遠く離れても、生贄にされた娘達の「どうして私ばかりがこんな目に。あの子も本当は同じ目に遭うはずだったのに」という妬みの念は時空を超えてやってくる。本来であれば、己を生贄にした当時の村人をのみ怨むべきであろうが、悲しいかな物心つく前に命を落とした幼子にはそのような道理も伝わらぬのじゃ。
あるいは、こちらのほうがより恐ろしいのであるが、逃げても追うてくるのは死者だけではなく、生贄を捧げられなくなった神もまた追うてくる。生贄を求めるような神は本当の神などではなく、神を騙る邪悪な存在じゃ。