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この世の全て(7)「光と闇の闘い」は光が勝ってもこの世は終わる
タイトル見ただけで「あ、オチが分かっちゃいました」という人が多そうだけど(汗)まあ、それならそれで嬉しいわ。それに「光が勝ってもこの世が終わる!?絶望しかない!」と怒るような人はもっと別の大きなものと闘うのに忙しくてこれ読んでないでしょうし(汗)
■光と闇の闘いは「それ」が仕組んだ出来レース
詳細はこれまでに話してるけど、ざっくり言うと光と闇はもともと、同じものだった。「それ」が「それ」自身を両極端の2つに分けたもので、光が善で闇が悪なんて決めてもいなかった。2つに分けたけど元々は1つだったから、そのままにしておくとまた1つに戻ってしまう。だから「それ」は光と闇が1つに戻らないように敵対させた。
ここからは今回が初めての話。両者が敵対してる「おかげ」で、あらゆるものが分離して存在し続けて、どんどん進化したのね。これは実は現実社会で起きてることとまったく一緒で、ライバルがいて、自分の立場が脅かされるからこそ、安穏とせず成長を望んで努力を続けていく。新しいものが生まれ続ける。緊張が続く。勝ったり負けたりして、喜んだり悔しがったり、喜怒哀楽を存分に味わえる。
「それ」が望んだことが起きてるわけね。
ただ、「それ」自身が、自分が望んで光と闇を敵対させたことを忘れてしまっているのよね。組み込んだ不確実性がしっかり機能して、この世が「それ」の想定の範囲をはるかに超えて展開していくこともある。(ややこしくなるけど、「想定の範囲を超えた展開」ですら「それ」が経験したかったことなんだけどね。それも忘れてるから)
もうちょい分かりやすく例えるなら、ミステリー小説家が自分ではるか昔に書いた小説の内容を忘れ果てて、ハラハラしながら読み進めてるようなものね。
書いてるときには「この展開じゃつまらないな。よし、こんなトリックを入れて、読者の予想を裏切ろう」と考えて書いたんだけど、いざ自分が読者になったら「なんだこの展開は!裏切られた!」となるような。
で、読み終えて本をパタンと閉じたら裏表紙に著者名が書いてあって「そうだ、この物語は自分が書いたんだった!まったく忘れてたから楽しめたなぁ」となるような。
で、それが光と闇の闘いがテーマの物語だったら、光が勝とうが闇が勝とうが、闘いに決着がついたら終わるのね。どっちが勝つかで違うのは、読み終えた時の「後味」だけで。光が勝ったら清々しい気持ちで終わるだろうし、闇が勝ったらやっぱり悲しい虚しい気持ちで終わるだろうし。物語の主人公に感情移入してたならなおさらに。
でも、どっちにせよ話が終わって本を閉じたら、我に帰るわけよね。「そうだ、これは物語だった」と。
主人公が物語の中で酷い目に遭っても遭わなくても、大恋愛をしてもしなくても、小説家自身は何も変わらない。
「それ」が「小説家」で「この世」が「物語」
そして、物語の主人公は、自分が「それ」であることを忘れ果ててる「私」ね。
続く。