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「思考を使って、思い通りの世界を手にしたい!」そう思ってはいるものの、なかなか思い通りの世界を引き寄せることができないという人は多いのではないでしょうか?
そんな人に共通していること、それは「感謝の周波数に乗れていない」ということのようです。
感謝で思考は現実になる?!感謝の周波数に乗れない理由
ここで言う「感謝」とは、全てのことに感謝するという意味が込められています。
良いことがあった時だけでなく、悪いことがあった時にも感謝することで、感謝の周波数に乗ることができます。
あなたは迷惑をかけられたときも、傷付くことを言われたときも、全てに感謝することができますか?
それは普通に考えると、とても難しい課題だと思えますね。
「思考は現実化する」ということについて学んだことがある人なら、「起こること全てには意味がある」ということを知っていることと思いますが、そのことを頭で理解したつもりでいても、実際に目の前に悪いことが起こったら「感謝」の気持ちを忘れて「怒り」や「不満」でいっぱいになってしまうのが私たち人間だと思います。
それでも、「感謝する」ことの意味は、不機嫌は全ての良いものを遮断してしまうためです。
不機嫌は愛と恵みの周波数を遠ざけてしまうのですね。
つまり自分のために一つも良いことではないということがわかります。
それでも私たちは、あえて一つも良くない方を選び不機嫌になりがちです。
なぜならば、そう選択することに慣れているためです。
そんな風に慣れてしまった思考は、一度勢いがついたらずっと同じ方向へ突き進んでいってしまいます。
感謝で思考は現実になる?!古い習慣を断ち切る方法
私たちの人生は、一日の始まりのほんの数分の習慣を変えるだけで書き換えることができます。
前にも書いたように、ポジティブな音楽に力を借りるというのも一つの手です。
他にも古い習慣を断ち切るためにできることがあります。
それは感謝できることを探すことです。
ムカつくことを言ってくる上司に対しても感謝できるところを探します。
「これは無条件の愛を身に付ける最高の訓練だ」と思えば、そんな訓練にも疑問や不満を感じないでしょう。
どうしても感謝することが難しいと思えるのなら、宇宙の存在を意識してみましょう。
宇宙はいつでも喜びと感謝のエネルギーを発信しています。
そうやって感謝できることを熱心に探していると、感謝できることが次々と引き寄せられるようにやってきます。
全ての人、全てのものを愛してこそ愛と恵の周波数を引き寄せるのです。
「ムカつく上司の感謝できるところを探すなんて、馬鹿げている!」そう思いがちですが、感謝することはあなたにとって「損」ではなく「徳」なのだということを知りましょう。
そして、気に入らないもの・嫌な出来事を頭の中から消し去るために「無視する」ようにします。
こうすることで、思考から「気に入らないこと」が消えてなくなります。
こんな風に習慣付けていくことで、神経回路が書き換えられ、昔からの思い込みを断ち切ることができるでしょう。
感謝の周波数に乗っているときのサインは?
感謝の周波数に乗っているとき、私たちは食べるものが美味しいと感じ、見るものが美しいと感じ、音楽を聴いているときの喜びも大きくなります。
難しい問題を奇跡のように解決することや、良いオーラを持った人たちが集まってくるでしょう。
また仕事もはかどり、上手くいきます。
こんなときが、感謝の周波数に乗っているときなので、自分でもすぐに気が付くはずです。
また、感謝の周波数に乗っているときは、幸せのオーラを放っているため、いいものを引き寄せます。
周囲の人もそれを感じ、心地よさを感じるでしょう。
感謝で思考は現実になる?!思考の次に大切なのは言葉
「思考を変えろ」と言われると難しく思えるかもしれませんが、「口から出る言葉に注意しろ」と言われたら、そう難しいことではないと思えますね。
実は、思考の次に大切なものがこの言葉なのです。
自分の言葉に耳を傾けてみると、未来の自分の世界を知ることができます。
ポジティブな言葉を多く発しているのなら明るい未来が約束されており、ネガティブな言葉を多く発しているのなら、それと同じ未来が待っているのです。
ですから、もし今のあなたに嫌なことが起こっていたとしても、それらは全て一時的なこととして受け止め、ネガティブな言葉によってその出来事を永続的なものにしなければ良いのです。
あのボブ・マーリーも言っています。
「不満は悪魔を呼び出す招待状だ」と。
最後に
このように考えてみると、私たちの人生は苦痛や孤独なんかではなく、楽しい冒険だということが分かります。
ただ、大部分の人がその事実を受け入れられずにいるようです。
私たちは一日中、一年中、どんな時も幸せでいるという選択をすることができます。
しかし、新しい可能性を受け入れようとしない限り、その可能性が視界に入ってこないのです。