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前編はこちら:【生贄】山中やダムでの遺体発見は現実の残忍な犯行のみならず『生贄儀式』の可能性が【ブラザー辛】
生贄の風習は無くなったように見えても、過去を知る特定の人々が密かに続けていることがある
生贄の風習が江戸時代を経て明治時代まで残った地域では、その後昭和初期までは生贄を続けていた地域もあるそうだ。第二次世界大戦の敗戦で、表向きは植民地にならなかったものの、日本政府が実質的にアメリカに支配されると状況も変わっていった。社会の仕組みがあらゆる側面から作り替えられていく中で、外国人など見たこともない!という山奥にある集落に至るまで、それまでの「村社会」が解体されていくことになった。若者が不便な山奥や田舎を去り、残された年寄りだけでは生活が成り立たず、年寄りが亡くなるか子供達が暮らすもっと都会に移住、あるいは廃村になり強制退去、そしてダムに沈む……。
そんな形で生贄の風習は次々に消えていき、昭和、平成を経て令和となった現代に至っては「生贄の風習はもはや残っていない」はずだ。そんな野蛮な風習が残っているはずがない。かつて生贄の風習のあった村の出身者に尋ねたところで、「自分が生まれた時点ですでにそんな習慣はなかった」と答えるだろう。
でも、そういった村、集落出身の中には、部外者には「そんな風習は江戸時代までだ」「そんな風習もあったけど戦前までだ」と語りつつ、密かに自分達の仲間内で秘密を守り、生贄の習慣を実は続けている人々もいる。
集落の生贄は世間的には単なる「行方不明者」または「元からいない人間」になる
もちろん、今年は誰を生贄にする、と宣言するわけもなく、それは密かに行われる。
生贄に選ばれるのは、一つは「元からいない人間」これは漫画や映画、ドラマなどですでに描かれているけれど「生まれても、出生届を出さない」この世に元から存在しない人間を予め準備しておく。現代の都会では出産は病院で行われるため、いつどこでどの赤ん坊が誰の子として生まれたか把握されていて、出生届を出さなければすぐに役所などの知るところとなる。けれど、病院の少ない、あるいは存在しない田舎では、村のそういった事情を全て掌握している産婆や長老、さらには村の祭りを執り行う役員などが全て加担して、生贄にすると決めた赤ん坊を母親から取り上げる。
もう一つは、旅人や村の厄介者を生贄にすると決めて、彼らを「行方不明者」にする。「クマに襲われたかもしれない」「川に落ちたかもしれない」警察も捜索を諦める口実はいくらでもある。場合によっては、捜査にあたる警察官もその集落の出身者で事情を知っていて、捜索をろくに行わず、未解決事件として葬ることもあるそうだ。
なぜ、生贄を続けるのか?
彼らはなぜ、生贄を続けるのか?それはやはり、生贄を欠かしたときの祟りの怖さを知っているからだ。迷信ではなく、祟り神は怒らせると祟りを起こす。
災害だけでなく、集落の誰かが気が狂って村人を次々に惨殺するような「人災」として片付けられてしまう惨事もまた、祟りによるもののことがある。その集落にだけ奇病が流行して村人が死に絶える、得体の知れない獣に襲われて無惨な死を遂げるなど、事情を知らない他人が聞いても「祟りでは?」と感じる事件事故が起きてしまうことも。
さらに、その祟りは生贄を捧げなかった「代」の人々にだけ降りかかるとは限らない。その子孫が特定の、悲惨な死に方をすることもあり、それを知る年寄りは自分達の子孫をそんな目に遭わせないために、見知らぬ旅人や村の厄介者を差し出そうと決意してしまうのだ。
ただ、彼らのように祟りを知っていて生贄に加担する人々は、自分達の先祖代々、その祟り神と何らかの縁を結んできた人々で、腹を括っているからまだいいのかもしれない。
一番悲惨なのは、前編で話した「生贄を捧げているとは知らずに、死体遺棄の形で生贄をさせられている人々」だ。
彼らは自分が殺した誰かをそこに遺棄したなら、自身が殺人者だと自覚はあるはずだ。あるいは手を下していなくても「犯罪に加担した」とは思っているだろう。
でも、実際には祟り神に使役されていることがあり、その場合は生贄を一度でも捧げれば、その後も使役され続け、かといって生贄に失敗すれば、祟りをその身に受ける。死体遺棄をした犯人自身が不審死をしているケースは多い。それも、「まともな死に方ではない」それこそ、その死に方を聞いたり見たりした誰もが「祟り」を浮かべるおかしな死に方をするそうだ。
ただ、この話はあまり部外者が根掘り葉掘りするのも良くないとのこと。祟り神の行為に興味を持ち深掘りすることは、祟り神に近づくこと、になるかもしれないのでこのへんにしておく。
前編はこちら:【生贄】山中やダムでの遺体発見は現実の残忍な犯行のみならず『生贄儀式』の可能性が【ブラザー辛】