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※芦屋道顕が大学卒業、実家の家業を継ぐことになり忙しくなったため今後は辛口オネエの愛弟子・ブラザー辛がオカルト・怖い話を担当します。
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ときどき報じられる『遺体遺棄事件』の現場に思うこと
ふだんは人があまり入らない深い山奥で、遺体が見つかった。ダムで遺体が見つかった。容疑者の供述で、山中の湖に遺体を沈めたと発覚。容疑者が自供して、山奥の廃墟で遺体を発見……。
もちろん、その多くは一般的な(という表現もおかしいけど)殺人事件の遺体を遺棄するために、発覚しにくい場所として選ばれたのだろう。
ただ、殺人犯や死体遺棄に関わった人物は、本人は自覚のないまま、目に見えない「何者か」に操られていることがある。
操られて、ある特定の場所に遺体を『生贄として捧げている』のだ。
かつて『生贄の儀式』が行われていた場所は現代になっても生贄を求める何者かが棲んでいる
オカルトに興味のある読者はすでに知ってると思うけど、日本各地に(世界にもだけど)生贄の風習は存在していた。
現代の人々の多くは「それは迷信によるもの」と考えるけど、実はこの世界全体、特に日本の土地には本当に古来から、人間の命、肉体を捧げることを要求する何者かが存在していた。いや、今もその多くがその地に止まり、生贄を要求し続けているんだ。
生贄を捧げる側の人々は、その存在がなんであれ「神」と崇めていた。でも、その「神」は無償で人間達を守ってくれる善神ではなく、何もしなければ祟りを起こし、人一人の生贄で済むならば簡単なこと、とその土地に住む人々に思わせるほど、大災害を起こし多くの人々を死に至らしめる祟り神、あるいは魔物だ。
彼らの中には人心を操るものもいる。人里離れた山奥にいても、都会に蠢く人々の中でその思念の届く者、縁ある者を見つけ出し聞こえない声で語りかけ、生贄を届けさせるのだ。
生贄の儀式がされずに人々が死に絶えることも
また、生贄の風習は決して大々的に披露するものでもなく、子供達に喜んで伝えるものでもないから、世代が進むごとに知る人は少なくなっていく。生贄の儀式が村、ある一つの集落から消え去るタイミングは何度もあった。江戸時代の終わり、文明開花と共に皆で生贄はやめよう、と決意してやめた村もあるだろう。若者が都会に出て過疎化し、生贄の風習のある集落が自然消滅してなくなったケースも聞いたことがある。
最悪のケースでは、生贄の儀式をやらなかった、または生贄を捧げることに失敗したなどで、その土地の祟り神を怒らせ、大災害や何らかの大惨事が起きて集落の人々が全て死に絶え、結果的に儀式も集落も無くなったこともあるそうだ。
続く。
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