出オチだけど、タイトルにあるように「努力しても成功しない・目的地にたどり着けない」時期って、長い人生の間には何度もやってくるのよね。
「そんなことない☆私はいつも頑張らなくても、うまくいってる☆うふふ、私は旦那クンをはじめとして周りに恵まれてる☆愛されてる☆宇宙に感謝☆」
・・・なんてスピリチュアルなマウンティングしてくる人の姿をした何かと運悪く遭遇しちゃったら、
「で、出たぁー!!本当にいたぁー!!ボス猿女子だぁー!!」
って心の中で叫んだら、あとは眼を合わせないように、刺激しないように気をつけつつ、背中見せると襲われるからソロソロと後ずさりしながら、でもなる早で逃げてねん。彼らも最近、餌が足りなくて飢えて人間の里に降りてくるようになったんで、可哀想ではあるのよ。
じゃ、そろそろ本題。
どう頑張ってもうまくいかないときは人生の「乗り継ぎ便待ち」の時期
例えば、
新しいことを始めたくて時間を作るために仕事や家事を前倒しでやったら、想定外の「これもやらなきゃ!」が発生して時間がなくなってしまった。
目標の達成、目的地への到着まであと少しのところで、トラブルが起きて進めなくなった。
そんなこんなで、思いつく限りの対処をしてみたけれど、やりたかったこと、行きたかった場所を諦めるしかなくなった。
それは人生の岐路に訪れる「乗り継ぎ便待ち」の時期にいるから。
直行便人生の人もいるけど
ものすごく少数だけど生まれてから「直行便」で人生の最終目的地にさっさとたどり着く人もいるわ。
そういう人はたぶん、スピリチュアルに興味を持たないし、持つ暇もない。そして、その人達には目的地でやるべきことが出発した時点……生まれた時点で決まってて、だから望むと望まないとに関わらず、直行便に乗ることになってるのね。
迷いがなくていいな、と思うわよね。目的地に着いてたくさんの時間を使えてうらやましいな、とか。直行便の人と同じ目的地を目指してるけど、こちとら経由地4つもあって、たどり着くのがとても遅くなるから着いた時点で直行便の相手にはもう追いつけない、とか。
乗り継ぎ便人生は「旅そのもの」が目的のことも
これは登山の喩えで以前にも話してるけど……。登山の目的が「登頂」頂きにたどり着くこと、という人もいるし、研究のために、ちょっと進んでは山道で立ち止まって葉っぱの一枚を裏返したり石をどけてみたりする人もいる。キャンプ目的でほんのちょっと登ったところでテント張っちゃう人もいる。彼らを案内するために、同じ山道を何度も何度も行き来して、それが人生のシェルパやガイドだっている。5合目までロープウェイで残りを自分の足で歩く人もいれば、逆に5合目まで歩いてきて疲れて、8合目まで行くロープウェイに乗る人もいる。
でも、山の喩えだと山頂を目指した人がいきなり研究始めることも、その逆もないから「人生の目的がすでに決まってて、それにどう向き合っていくか」よね。
直行便じゃなく経由便に乗る人生、ときどき乗り継ぎ待ちをすることになる人生は「行き先の変更が可能な人生」なのよ。
そして、その時々では「それまでの積み重ねが、道を変えたら無駄になる!」なんて思うかもしれないけど、そんなことは決してない。
地元の小さい空港からは、決まった行き先しかなかったけど、経由地に着いたら選択肢がたくさんある。地元を出たときは行きたかった目的地が、今はもう興味を失って、ほかに行きたいところが見つかったら、そっちを選ぶことができる。
だけど、選択のためには時間が必要だし、新しい便の到着も待たなきゃいけないこともある。でも、自分一人だけが待たされてるわけじゃない。空港で周りを見たら、たくさんの人がいて、それぞれに待ち時間を過ごしてるじゃない?カフェでのんびりしてる人、本を読んでる人、行き先の情報を事細かに調べてる人。
その中には「最終目的地」への便を待っている人もいるけど、旅そのものが目的で、最終目的地を持たない人もいる。最終目的地はあるけど、晩年にたどり着けばいいと思っていて、それまでは世界を放浪する人もいる。
直行便人生の人にとっては、経由地に降りるのはなんらかのアクシデントで「足止めを食らった」としか思えないかもしれない。早く目的地に行きたいから、経由地でのんびりしようとは思えないかもしれない。
でも、そもそも乗り継ぎ便人生の人は、アクシデントで予定外の空港に降りることになったら「予定外だったけど、どうせだから楽しもう」って気持ちを切り替えさえすれば、そこでの待ち時間を楽しめてステキな旅の思い出にできるはず。ちょっとくらいトラブルがあったって「それをどう切り抜けたか?」って武勇伝として、人生をトータルで振り返ったときには宇宙からのサプライズギフトに思えるようになるはずよ。