アタシが顔出ししないのは、まずはせっかく記事やアプリの占いを楽しんでくれてるみんなのイメージを裏切りたくないのがやっぱり一つ。
だって、数え年で10万3x年生きてても、建物で考えたら土地の値段しかつかないレベルの古家を外壁だけ塗り替えたり修理しながらなんとか形保ってるから明るい時間に外歩けないとか。
そもそも、馬小屋をラブリーなコテージに改装しましたぁ♪ なんか馬小屋の雰囲気残ってますけど。みたいなとこからそのリノベは始まってるしね。
あとは、やっぱり顔知られちゃうと、真夜中ドンキに女子大生の間で最近流行ってる恋コスメとうわさのフレグランス♪とか、買いに行けないじゃない?世の中狭いし、まだまだ知られてない存在としても、やっぱり気になっちゃうのよアタシ、自意識過剰だから。
でも、それよりもっと本当に、言い訳じゃなくて大事な理由もあるのね。
それは、
いつまでも、正体不明の「怪しい存在」でいたいから。
まあ、望まなくても怪しいんだけど(爆)
■信じて欲しいけど、信じ過ぎて欲しくない
アタシ、前も霊能者とか祈祷師に幸せになるように、願いが叶うように、祈ってもらったり悪霊を祓ってもらったりするのはオススメできないって話してるけど。
人生って、運命って、本当に他人が介入できないのよ。変えられないのね。
「変えられる」のは、本人だけ。
だから、前も話したけど、占い師だけじゃなく頼れる有資格のカウンセラーであれ学校の先生であれ、やってることって、本人の中にある「こうなりたい」って願望や野望に「気付かせる」だけなのよ。
もし、本当に本人に直接的な影響を及ぼして本人の人生を変えられる第三者がいるとしたら、それは身体的な問題に働きかけるお医者さまとかマッサージ師とか、あとは髪を切って綺麗にしてあげる美容師さんとか。
それだって「髪を切ってキレイになって自信がモテたので、彼にアタックして付き合えました!」って子を、美容師が「俺のおかげで彼女は人生が変わった」って言いまわったらドン引きよね。
占いで相性がいい、と言われたおかげでアタックして恋が実って結婚して人生が変わりました!って言ってくれるクライアントがいたとして。
そのクライアントの努力なわけだし、その人がその相手と結婚できたのは、正直なところ「そういう運命の持ち主だったから」なのよ。
そのタイミングで「アタシが背中押してあげたからよ。人生がいいほうに変わったでしょ?」なんて、他人に吹聴するのは言語道断だし、心で密かに思うのだって、おこがましいと思うの。
占いでの未来予知は、降水確率は言えても、実際に降るかどうかはそのときまで本当に分からないし、降水確率100%ですでに雨がザーザー降ってても、「雨天決行」して、うまくいっちゃう野外イベントやスポーツだってあるわけで。
占いやその他の予測でどんな未来が示されたとしても、それは絶対に起きる決定事項じゃなくて、示された未来が望ましければその通りになるようにするのも本人だし、望ましくなければ変えることができるのも本人。
だけど、もしその未来を予測した誰かってのが、怪しい占い師だったら「でも、あの人怪しいし。やっぱり自分自身を信じよう」って判断ができるけどさ。
「あの人の言うことは100発100中、外したことがない透視能力者」だとしたら、その透視を完璧に信じたくなるし、ある宗教の信者で「教祖様が未来はこうなると言った」ら、それを信じちゃうでしょ。
第三者を完全に信じることは、自分の判断を放棄することでもあるのよ。そして、それは自分の人生の決定権を手放すことと同じなのよ。
■占いで「あまり良くない」未来が示されたときは?
そして、信じてうまくいってる間はまあいいとして、うまくいかなくなったときや、信じてたカリスマへの何かしらの疑念が生まれてきたときは、信じてきた年月や、してしまった「鵜呑みの判断」の分だけ、後悔すると思うのね。
だから、アタシは占い読む人みんな、前にも話したけど天気予報を確認するくらいの気持ちでいいと思ってるの。まったく確認しないわけじゃなく参考にしつつ(してもらえるように有益なものを提供し続けていくつもりだし)でも、天気予報で雨でもイベントを中止するんじゃなくて、雨天決行のための対策に使ってほしいの。
多少、ネガティブな未来が示されてたとしても、諦めるんじゃなくて「傘を持っていく、レインブーツ履いていく、安全運転で現地へ向かう、ビニールコートを配る」そんな「準備」に役立ててもらって、悪条件でもイベントを成功させる可能性をあげるために。
そして、最終的には「誰がなんと言おうと、私の人生は私のもの。私の未来は私が決める」で、力強くでもいいし、お気楽にでもいいから、本当に望んでる未来の方向に向かって歩き出せるのが一番だと思うわ。