とある業界の有名人が亡くなると、その同じ年にバタバタと同じ業界の他の有名人が亡くなったり、一般人でも誰か亡くなった後で、昔仲が良かった同級生とかが立て続けに亡くなることって、たまにあると思わない?
ふと「なんだか、今年は名優ばかり死ぬな。歌手ばかり、研究者ばかり……」って感じたこと、これまでにない?
まあ、同級生なんかだと同い年だし歳取って、みんないつ死んでもおかしくない年齢ってこともあるけどさ。
でも、偉大な研究者が亡くなった影で、そのかわいがってたまだ若い助手が寿命にはほど遠い年齢でなんか死んじゃったりして「連れていかれた」なんて不謹慎な言い方することもあるのよね。
で、それをもうちょいスピリチュアルな目線で観ると、ああ、同時期に亡くなった人たちは
同じソウルグループ
なのかもしれないわ。
■悲しい事件や事故で、一度にたくさんの人が亡くなる理由の1つ
で、すべてがってわけじゃないけど、たまに、特に飛行機事故とかで特定分野の専門家とか権威の先生達が一斉に亡くなることってあるじゃない?
そのせいで、その分野の研究は年単位で後退したとか、画期的で世界を変えるはずだったシステムが陽の目を見ないままになるとか。
すごく悲しい出来事だけど、でも、彼らはいずれ、同じメンバーでまた、もっと進んだ未来の世界に帰ってくるのよ。
そして、またきっと同じ分野で今度こそ、やりたかったことをやり遂げて世界を救うのよ。
音楽グループのメンバーがどんどん亡くなって、追悼式で残されたメンバーなんかが「あいつとあいつとお前で、あの世でまたセッションしていてくれ。俺は後からいくから」とか。
■「残された者」が残された意味
あの世ではセッションしてないだろうけど、生まれ変わってその3人はまたきっと出会って何か一緒にやるのよね。
で、そう考えると残された側って寂しいじゃない?仲間外れかよ、って思うかもだけど、実はそんなことなくて、それも壮大な「魂の計画」の一つなのかもしれないのよ。
残された彼が、先に逝ってしまった彼らより20年長生きしちゃったとして。
次の世で、かつての仲間より20歳下で生まれてまた出逢ったとしたら、先の時代に生まれた仲間が、そろそろ新しい時代についていけなくなってたり、アイデアが枯渇してきた頃に、若いエネルギーとアイデアを吹き込んであげられる。
テクノロジーだの医学だのの世界なら、もしかすると今度は仲間よりずっと後の時代に生まれて出会わないかもしれないけど、かつての仲間だったチームの残した研究が気になって、その研究を引き継いで完成させることができるかもしれない。
ってことで、まあ本当にまったく証明できない世界だけど、敬愛してた俳優やミュージシャンや偉大な研究者が亡くなったときには、そう思って「また、いつか」って送るのもアリなんじゃないかしら。