(2)いじめ加害者の霊的正体:いじめ加害者に起きる因果応報あるある
(1)を先にご確認あれ↓
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※今回も、いじめ加害者の悲惨な末路を因果応報として面白く可笑しく取り上げる。いかなる悪人であれ、自分をいじめた加害者であれ、他人の不幸を望むことなどできぬという善人が読むと気分が悪くなるやもしれぬ。もし、読み進められぬと思うたら、他の記事へどうぞなのじゃ↓
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では、ここからはさっそく、いじめの加害者に起きる因果応報の実例を、前回は一つだけ取り上げたが今回は箇条書きになるが、知り得る話をザクザクと挙げていくぞよ。「霊的正体」の話は次回からじゃ。また、それに繋げるために先に末路の話が必要なのじゃ。
■いじめ加害者に起きた・今後も起きる恐怖の『因果応報』あるある
★いじめをしていた加害者集団の中で自分が次のターゲットになる
これは非常によくあることで、またとても分かりやすい因果応報であるな。因果応報という視えない力を考慮せずとも「8:2の法則」というものがある。100匹の働き蟻のうち、働かぬ蟻が20匹いるという。では、その20匹を除くと残りの80匹は全て良く働く蟻のままであるかと思いきや、その中からまた2割、働かぬ蟻が出てくるそうじゃ。
そ
そして、狭い水槽や池に同種の魚を複数入れておくと、ストレスからその中でまずは一番弱い個体が他の個体から攻撃を受け、仲間外れにされエサも食べられなくなることがあるそうじゃ。
しかし、その一匹を取り除けば、あとの魚は仲良しのままかと思いきや、新たなターゲットを作り、攻撃するそうじゃ。
人間社会でも、いじめが起きる場所は往々にして、いじめに加担する人々が皆、強いストレスに晒されている。そのストレスの吐口として、1人をターゲットとするが、その1人がいなくなれば、それまで「加害者仲間」だったうちから、誰かしらをターゲットにしていじめ始めるのじゃな。かつて、いじめる側、加害者側だった誰かが、いじめのターゲットが去った後に、今度は自分がターゲットになり、その場を去ればまた別の仲間だった誰かがターゲットとなる。
★いじめる側だった人間がその「いじめグループ」を抜けると、今度は「いじめられる側」になる
一度いじめグルーブに所属してしまうと、犯罪組織を抜けるのと同じように抜けにくくもあるそうじゃ。ボスに従ったにせよ、雰囲気で「みんながあの子をいじめてるから、いじめていいんだな」となんとなくいじめに加担したにせよ、いじめる側、加害者として「共犯者」になってしまう。共犯者が改心して犯罪組織を抜けるとなれば、それは犯罪組織に残る側としては「裏切り」「抜け駆け」「あいつ、1人だけ良い子になりやがって」「警察に言うつもりか?」と、抜ける人間が途端に「敵」になる。「なんとなく気に食わないからいじめていた」かつてのいじめのターゲット以上に、執拗に嫌がらせされることとなろう。
※いじめも内容次第ではれっきとした犯罪であり、警察は現状まででめったに動いたことがないものの、例えば実際の暴力や、モノを盗まれる、壊される、金を恐喝されるなどは証拠を揃えれば「警察沙汰」にもできることもある。
さて、次のページの「因果応報」は、悪人ではなくともそのような苦境に陥っている人も世の中にはいるゆえに、その苦境にある、その不幸に見舞われた人は因果応報を受けている、と逆の捉え方は決してしてはならぬ。
いじめをする→悪い因縁を生む→時間を経て増幅して悪因の悪果を受け取る、の一方通行の流れであるぞ。
続きは次のページ▶︎
■昔ならば「前世からの重いカルマ」と囁かれる不幸の連鎖
いじめの加害者は、往々にしてとても軽い気持ちでターゲットを追い込み、心を壊し人生を壊している。「みんなもあの子のことを無視してるから。ばかにしてるから。私も/俺も、みんなと同じことをしてるだけ」と思うていて、ターゲットが目の前にいる間は「いじめるのが日常」であり、いなくなっても自身が次のターゲットにならない限りは「いじめは悪いこと」という自覚など持たぬまま日々を過ごすことすらあろう。
しかし、以前にも話したが、地球を長年支配していた闇の存在が張り巡られた結界によって、因果応報が本人に跳ね返るまでに非常に長い年月がかかり、前世での行いを、輪廻転生後に悪果として受け取ることもしばしばあった。
が、その結界はすでにほとんどが解除され、因果応報の発動は早まり、今世での行いの結果を今世で受け取ることになってきた。なんとはなしに、己のことではなく世の中を見ていて、感じることがあるのではなかろうか?
例えば、他人に理解されない精神的な不調、肉体的な痛みや苦しみ。不治の病。運が酷く悪かったとしか思えない、奇妙で重大な事件や事故に巻き込まれる。そして、これは子供の立場からすると理不尽極まりないが「親の因果が子に報い」もある。最愛の子供に不幸があって、ようやくかつてのいじめを思い出し深く反省することで報いが軽減することもあれば、気付かぬままで不幸を上塗りしながら悲惨な末路を迎えることもある。
★幸せの絶頂から叩き落とされることも
特に反省せず、若い頃は無敵で順風満帆に見える人生を送っている加害者もいるが、それは実はより高いところから落としたほうが衝撃が強くなるように、幸せを満喫しているときに急転直下、大変な不幸に見舞われる運命じゃ。「上げて、落とす」飽くまで一例ではあるが、一人の女性をいじめ抜き、その女性は身体を壊し子供を産めなくなった。しかし、いじめの加害者は、そんなこと忘れ因果応報もないかのように幸せな結婚をし、子を授かった。ところが……。という事例もある。
「自分をいじめた加害者には、まだ因果応報が起きていない」と思うならばこそ、それはより大きな、重い悪果が相手に巡るからじゃ。数年ではなく、十数年かかることもあるが、今の世では必ずや、蒔いた種は刈り取ることになっている。
続く。
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