<2015年上半期はどんな時期?>
■ヤッホーッ!火祭り!男祭り!~6月15日まで
2014年12月24日に土星が射手座に移動すると、
木星獅子座・土星射手座・天王星牡羊座
世の中全体に長期的な影響を与える天体が「火の星座」に集合するのね。木星は8月12日には乙女座に、土星は6月16日から9月18日までは逆行して蠍座に戻っちゃうから、実質的にこの3天体が全て火の星座に揃うのは、
2014年12月24日~2015年6月15日まで
この期間は、けっこうな困難が目の前にあっても、それを乗り越えようって意欲がどこからともなく、湧いてきちゃうわよ。
それって実は、世の中全体が、明るい展望を抱いて、
「俺達の新時代が来るぞ~!!」
「世界を変えるぞ~!!」
って、ムンムンした『THE・男祭り』みたいになってるからなのね。(アタシの趣味だけで言ってるわけじゃなくて、天体配置がそうなの、本当よ!この3星座って男性性を表す『男性星座』なのよ)
■「このままでいいや」が「変わらなくちゃ」に
知らず知らずのうちに世の中のムードの影響を受けて、これまで慎重に失敗しないように、目立たないようにって生きてきた人ですら、
「失敗してもいいから、やってみよう!」
って気持ちになって、行動に出るんじゃないかと思うのね。
それは、火の3星座の影響だけじゃなくて、2014年の12月14日~15日に6回目、そしてこの2015年の3月17日についに7回目が起きる「天王星冥王星スクエア」の影響もあるの。
普通の人はさ、「生き方を変えたい」って思ってても、今の生活を変えるのは怖かったり億劫だったりして、「このままでいいや」ってなりがちじゃない?
でも、そんなふうに「不満はあるけど、今のままでもいい」状況や気持ちって、なんだかんだで良い意味で何の変哲もない、平和な毎日が続いているからこそ、曖昧なまま、モヤモヤしたまま同じ日々を繰り返せるんじゃないかと思うの。
それが、2014年の占いの中でも何度か「ドッカーン!」「破壊と再生」「方向転換」「心機一転」なんて言葉使ってるけど、「天王星冥王星スクエア」の時期に、
「このままずっと維持出来るはずの安定した日常」が揺さぶられて、ヒビが入った、あるいは倒壊した
それじゃ、もう「今のままでいい」なんて言ってられないわよね。
それで、元から変化を起こすきっかけが欲しかった人はもちろん、どんなに変化を嫌う人でも、「安定を求めて、変化を起こす」必要性を感じて、重い腰を上げることになるってわけ。・・・断固として動かないとブルドーザーが外から来て、強制的に立ち退かされちゃうけど。
でも、ここで悲壮感タップリにならずに、「まあ、なんとかなるだろう!」って前を向かせてくれるのが、この2015年前半の「火の3星座」の明るさなのよね。
■「失敗してもいい」誰もが、挑戦も失敗も再起も出来る世の中に
2015年前半、世の中は
・過去30年くらいの間に築かれて、今は当たり前になってる社会の「仕組み」やそれを維持するインフラ、技術に革新が起きる
・「当たり前」がなくなっていく中で、「新しいこと」「変わったこと」「面白いこと」をやる人が増える
・挑戦する人にエールを送り、失敗をしてもそれで終わりにならず再起が出来る
ここ数年、一部の業界ではそういう流れはあるけど、それでも挑戦して失敗して、でもまた果敢に挑戦して・・・が出来るのはすごく限られた勇者的な人達とか、環境に恵まれた人達だったんじゃないかと思うの。
大なり小なり、若い頃に「成功体験」があって、「自分はできる」って思える人。
親や周囲や今いる会社が「貴方はできる」って応援してもらえる人。
それが、この半年だけでそこまで広がるかは未知数だしこれは希望的観測だけど、
これまで、自分で自分を信じられるような「成功体験」をして来なかった人。
地縁も血縁もない土地で、就職がうまく行かず派遣やバイトで働いている人。
「自分なんかにできるはずがない」「お前なんかにできるはずがない」「どうせ、俺には誰も援助してくれない」「私なんかが夢を追いかけても、笑われるだけ」
そんな悲痛な想いを抱えながら、やりたいことをやってる人達のキラキラした世界を遠目に見てるだけだった人達が、「自分もやってみよう」「ダメでも、挑戦したなりにいいことがあるだろう」「失敗したけど、またやってみよう」って、ごく普通に思えるようにね。
これは今すでに魚座にいる海王星のパワーの影響ね。海王星が潜在意識よりさらに深い・・・それこそ世界全体の「集合無意識」とか「宇宙意識」とかのレベルにゆっくりジンワリ働きかけて、魚座の示す「最弱の者、虐げられた者、見捨てられた者」に光をあてて救済するんじゃないかと思うの。
あ、これ、恋愛でも一緒よ♪
ま、そんなわけで、この2015年の上半期は、一年が始まった段階では「そんな夢物語!」「映画の中の未来の話」なんて誰もが思ってるようなことが、社会の仕組みであれ、技術的な方面であれ、人の気持ちであれ、「現実」になるんじゃないかって。