死刑の霊的タブー(2)凶悪犯の処刑は霊的には犯罪抑止に逆効果?
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冤罪ではなく、本当に人を二人以上……しかもその対象が子どもであったり無差別であったり、凶悪で反省の色がこれっぽっちも見えない極悪人など死刑は当然ともいえる。人の世の法律や倫理に照らし合わせて、この世のうちに見届けられる因果応報と考えれば、何も間違っていないのではないか。遺族としては、少しでも心の慰めになり、遺族や被害者の魂の救済には役立つのではないか。
と、賛成派のわしとしては考えてしまうのであるが……。やはり、良くないのじゃ。
凶悪犯を処刑するのは「凶悪犯の魂を自由にすること」
もうかなり昔の話となったが、名門小学校に侵入し児童を何人も追い回し殺害した鬼畜がおった。そやつは死刑は怖くない、死にたいからさっさと殺せというような発言を繰り返していたそうじゃ。そして、本人の望み通り、死刑の判決から執行まで、通常かかる年月をかけず、異例の早さで刑は執行された。
この凶悪犯のように自ら死を望む者には、死刑は苦ではなく、本人の反省を促すものとも遺族の心を慰めるものともなり得ない。
そして、現世的には凶悪な人間がこの世から一人消えて平和になったと見えるが、死刑で滅びたのは凶悪犯の肉体のみ。肉体という檻に閉じ込められていた魂の邪悪なエネルギーが地上にもあの世の領域にも解き放たれてしまう。
快楽殺人犯であれば狂った欲望が、己の正当性を主張しながら処刑された者であれば恨みつらみや復讐の念が。そして、そのような人外魔境に至るまでの、彼らの往々にして虐待家庭で育った虐待の記憶が天にも地にも分散してしまうのじゃ。
不幸中の幸い、あまりにも凶悪な事件を起こし改心しようのない魂は、それがまた地上に人間として降りてはならぬと判断され(判断するのが何者なのかはうまく説明できぬが、やはり宇宙の意識でも高次の存在)ときに長い眠りにつかされ、ときに消滅を余儀なくされる。
時折、死して肉体を失くしてもあの世に行かず現世を彷徨い、あるいは異界に逃げ込む魂がいるのは、そのような己の末路を知っているからやもしれぬ。
冤罪により命を奪われた者の悲しみや怒りの記憶と同様に、「宇宙の一なるもの」に凶悪犯のエネルギーが混ざることは、皆の飲み水に微々たるものではあるが毒が混ざるのと似たようなもの。
そして、最も恐ろしいのは新たに生まれ来る者の中には、この凶悪犯の生まれ変わりではないものの、そのエネルギーや記憶を持って生まれる者が出てくるからじゃ。その人生でもし、かつての凶悪犯が悪に目覚めたのと似た経験をしたならば、内在する負の感情やエネルギーが目を覚まし、健康な体を蝕む病の如く心に広がっていくやもしれぬ。
凶悪犯はすでに「人ではない」場合も
どのような凶悪犯にも無垢な赤ん坊の時代があったはずじゃ。しかし生まれた環境や親など大人達との不幸な巡り合わせによって、人とは思えぬ所業をはたらくようになっていく。
さて、これもまた霊的な禁忌であるゆえここでは簡単にしか触れぬが、歴史に残るような凶悪犯罪を起こした加害者は、成長過程で実はすでに「人ではなくなっている」こともある。
以前に、魂の境涯について話したが、人と人でなし……餓鬼や悪鬼や魑魅魍魎などを分け隔てている境界があり、人の世界と彼らが棲まう異界は重なり合って存在する。
心が負の感情で覆い尽くされ、他者に危害を加える行動をしてばかりいると、いとも簡単に異界の側に迷い込み悪鬼と化してしまうこともあれば、異界から出てきた悪鬼や、現世をたゆたう恨みの念に入り込まれ、体も心も乗っ取られてしまうこともあるのじゃ。
どのような経緯であれ、人の肉体を持ち元は人であっても、恐ろしい犯罪を繰り返し反省もしない者は己ではない何かに成り果てることがある。人ではなくなった者を死刑にしても、負のエネルギーと悪事の記憶、この世の人々への恨みの念を残すのみ。
魂はすでに朽ち果てているため、死の罰により心を改させようとしても、後悔も改心ももはやできぬ。人間界の倫理も道徳も何も伝わらぬのじゃ。
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