もし相手にも自分にも、前世から繰り越したカルマ的なものがあるにしても重大なものではない場合は、前世と似た人生を歩むことになる。前世の日常生活の中で発生したカルマは、今世でも日常生活の中で返せるからだ。前世で会社の同僚として知り合った相手との恋を成就させたいのに、わざわざ今世でインドの山奥の修行僧の人生は選ばない。
相手の魂が、万が一今世でインドの山奥の修行僧に……生涯、禁欲を誓って人里を離れて生きる人生を選んで生まれていたなら、今世ではその魂との恋の成就は諦めて、ほかのソウルメイトと出逢う道を探るだろう。
■善行と悪行とその因果応報はリンクしない
タイトルの話に戻るけれど、実はこの現実世界、物質世界を生きる僕達の思う「善悪」と、それが関係しているかもしれない「幸不幸」の因果関係は複雑怪奇でなかなか納得のいくものではない。善悪も幸不幸も、個々の人間が勝手にそうだと思いこんでいるだけのものだ。
例えば、戦争で敵を殺したら戦争中には英雄扱いでその殺人は「善」だけれど、平和な世の中ならば殺人は「悪」だ。サバンナでライオンがガゼルの子供を襲おうとする、そのガゼルの子を逃がすために人間が介入したら、一見いいことのようだけど、ライオンは飢え死にするかもしれない。そのライオンには我が子が2匹いて、その二匹も飢え死にするかもしれない。
過去にどれほど善行を行なってきたとしても、逆に現代の価値観や倫理観からは悪行となることを行なってきていたとしても、それが今世や来世を決定するわけではない。
それよりも、次の転生への影響が強く出るのは「想い」「願い」のほうなんだ。