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■母から受け継がれた雛人形を寺で供養し引き受けてもらったら結婚できた娘の話
しかし、現代ではそのような事情は知らず、高度経済成長期やバブル期に高価で立派な雛人形を手に入れた祖母や母が己の穢れを移し霊的には疲れ果てている雛人形を娘に受け継がせたがり、知らぬ間に娘に厄を被せているのじゃな。
さて、本題の娘の話。
この盆に地元に帰ったが、実家に飽きた仲間と集まり、昔からよく溜まり場にしていた友人の豪邸というか田舎の旧家らしい広い家で酒を酌み交わした。
友人の祖父の何回忌かの法事と重なっておったゆえ、友人の親戚も集まっており、わしらが小学校時代から見かけると「お嬢」と呼んでいた名家の娘(というてもワシらから見れば相当なお姉様であるがここでは「娘」と呼ばせてもらう)も、法事のために泊まりに来ていたのじゃ。
★家柄も良く美人なのに男運ゼロの娘
以前に会うたときは、地味ながら品のある美人ではあるが、命に関わるほどではないがいくつかの慢性的な病を抱え、独身で恋人もできぬまま三十路となり己の男運のなさに嘆いていた。18や19でデキ婚をする者も多く、未だに地元女子の平均結婚年齢は24という田舎ゆえ、さぞや肩身が狭かったことであろう。
その娘の母は「私がお父さん(夫)みたいな高給取りのいい男をつかまえたんだから、貴方もお雛様にお願いしておきなさい」と、
毎年の桃の節句は必ず娘に立派な五段飾りの雛人形を飾らせ、節句が終わると例の如く「嫁に行き遅れないように」と翌日にはしまわせていた。しかし、当然ではあるが雛人形に願掛けをしても娘はいつまでたっても独り身であった。両親はいくつも見合い話を持って来たが、なぜか断られるばかり。
★母の雛人形を供養すると驚くべきことが
数年前にその母が病で亡くなり、その娘の父が「雛人形はお母さんの嫁入り道具だったから、お母さんと一緒に旅立たせてあげよう」と言い出し、雛人形の供養を行なっている寺に持ち込んだそうじゃ。
寺に持ち込んでから数日の間、娘は不可思議な夢を見たそうじゃ。内容はおぼろげにしか覚えてはいなかったが、どの夢にも男や女が出てきて、娘をその母の日名前で呼び、罵るものであったという。
一つだけはっきり覚えているのは、ある夢に出てきた女は泣きながら「◯◯◯を寝取っておいてよく平気で……でも、もういいわ」という言葉。その◯◯◯とは、娘の父の名であったそうじゃ。
その話を父にすると、父は昔、社内恋愛でほかの女性と付き合っていたが、その友人だった娘の母と知り合い、猛アタックを受けて結局娘の母と付き合うこととなり、結婚した経緯を語ってくれたそうじゃ。
恐らく、母の雛人形が引き受けていたその女の怨念が、供養されることで「もういいわ」と、雛人形と共に成仏したのであろう。ほかにも見た夢に出てきた人物は、母が知らぬ間に恋愛関係で受けていた恨みの念によるものだったのやもしれぬ。
そして、母の雛人形を供養してから、
娘は三十路にして初めて恋人ができた。しかし、やはり願いは結婚、子を産み育てること。恋愛経験ゼロからのスタートゆえ、霊的な障害のせいとは当然言い切れぬが、やはり結婚したいと口にした途端に恋人は音信不通に。その後も「モテはする、付き合うまではいくが結婚には至らない」が続き、娘は思い悩んだ。
娘の父親も娘が三十路も半ばに差し掛かり結婚できずにいることを心配し、本家に相談をした。本家は娘の父の話を聞いて、あることに気付いた。
「そういえば、うちのばあさんの雛人形は今、お前の家にあるんじゃないか?」
娘の父方の祖母は子だくさんだった本家でも唯一の女だったため、曽祖母が嫁入り道具で持ってきた男雛と女雛がセットになった古い雛飾りを、祖母が嫁ぐときに形見分けの意味もあり持たせたという。
話を聞いて、娘の父は家に戻ると祖母の遺品をまとめてしまいこんである納戸を探してみた。古い木箱が二つ見つかり、その中には祖母が亡くなってから何十年と陽の目を見なかった男雛と女雛があった。
父と娘はまたその雛人形を寺に持ち込み供養した。
それが理由か、はたまたさすがに初めて恋人ができてから数年、運命の伴侶と出逢えたからなのかは定かではないが、その娘はめでたく結婚し、この盆に友人の家(本家)で会うたときには赤ん坊を連れていたのじゃ。
めでたしめでたしであるな。
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