前編【芦屋道顕】町で偶然何度も同じ「知らない人」を見る霊的な理由【現代の呪】

町でばったり、何度も同じ人と遭遇するのはそれほど多くはないものの、長く生きているとときどき経験することで、そこに何の意味があるのかと確かに気になるものじゃ。

■知っている人と遭遇する場合

片想いの彼と街中で何度も遭遇したなら、それは運命を感じるのみで、当然何の意味が!というても悪いことを想像する人はおらぬはず。相手が毎回彼女連れ、などであれば別であるが。それもまた、明白な天からのメッセージと受け止められよう。

あるいは、学校や会社の苦手な相手と何度も遭遇したなら気にし過ぎゆえの嫌な引き寄せであろうと推測できるもの。

めったに会わないかつての同級生や故郷の知人、親戚や恩師などと偶然に顔を合わせたなら、それは何やらシンクロニシティなるものであろう。

今の自分あるいは相手に必要な情報交換ができるか、あるいは今好きな会社の同期の彼の名字が山中で、四六時中「山中くん……」と考えていたら、

小学校時代の同級生の山中くんとばったり遭遇し「惜しい!」ということも起きるものじゃ。

これらはあえて言われなくともスピリチュアルな話に興味のある昨今の人々は何となく知っておろう。

しかし、今回の話は出くわす対象がまったく己の人生とそれまで関わりがなかった「見知らぬ人」の場合。まったく面識がない他人との度重なる遭遇について、霊的な意味を探っていくものじゃ。

■見知らぬ他人と何度も遭遇する場合

家の近所で見かけた同じ人と、少し離れた地元の駅で出くわす。これくらいは「近所の人だな」と納得がいく。

しかし、同じ人と何駅も離れた通勤先の町でばったり会えば、これは少々気になるのも道理。さらには病院で、スーパーで、休日のドライブで行った道の駅で、旅先で……。

最初は何も気にかけていなかったまったく面識のない他人でも、同じ人と何度も遭遇すると何の意味があるのかと気になるものよのう。

★「素敵な人」なら?

それがもし、おぬしから見て異性でなおかつ好ましく思える見た目ならば、運命の相手ということもある。

あるいは、その相手とは結ばれる運命ではなくただ「かっこいいな」と思うて終わりの縁でも、不毛な恋愛をしているときであれば「今、執着している相手よりも素敵な人はたくさんいるから、ほかに目を向けなさい」との天からのメッセージやもしれぬ。

同性であれば、おぬしの美意識の高まりの前兆であったり、おぬしが自信を失いかけているときに

「あんな素敵な人に、あなたもなれるよ」という天からの励ましであったりする。

概ね、心配のないものでむしろ喜ぶべきかとであろう。

さて、少々気を付けたいのは「見知らぬ人」であり、それが見た目がおよそ魅力的とは言い難い、その人のようになりたくない他人と何度も出くわす場合じゃ。

★「こうなりたくない」人なら?

憧れとは逆に「こうなりたくない」人との遭遇もまた、天からの「今のままではこうなるかもしれないぞ」との警告やもしれぬ。

そして、憧れ同様にネガティヴな引き寄せでもある。口では「見たくない」「会いたくない」と言いつつ、そのような外見の他人に「怖いもの見たさ」の興味を持っていると、何度も同じ他人を引き寄せて見てしまうのじゃ。おかしな風体の他人を嘲笑いたい意地悪な心があればなおのこと。気付いたならば、明るく楽しいことに意識を向けて、そのような心を入れ替えることが大事じゃな。

しかし、この「こうなりたくない」他人を何度も見る現象は、それほど単純ではなくもっと別の暗示や霊的現象の場合もあり、こちらはちと注意と対策が必要じゃ。

後編に続く

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